2010年9月11日土曜日

宮浜温泉の米山広場では

 今日、京都大学原爆災害総合研究調査班遭難者慰霊の集いが執り行われました。
65年前の枕崎台風により 京都大学の原爆災害研究班11人を含む156人がこの周辺で亡くなりました。

遺族代表の真下さんは 原爆が広島に落とされた時 亡くなったお父様の当時京都大学真下教授は 「まさか アメリカが 原子爆弾を戦争で使ったとは。」と憤っていたことを今でも覚えているとおっしゃっていました。 原爆の研究のために、被爆者治療のために広島入りし、枕崎台風で殉職されたお父様への無念の想いをのべていらっしゃいました。
慰霊式の行われた米山広場には 京都大学の慰霊碑と旧大野町がこの記憶を消すまいと被爆60年の時に作った遭難碑と二つの碑があります。
今日の慰霊式では 原爆という人災、台風という天災 両方の犠牲になった方がいらっしゃることをわすれてはいけないのだと感じました。原爆投下後、被爆者が収容されていた広島から離れた大野陸軍病院の中で収容された原爆患者は逃げる間もなく土石流にのみこまれたといわれています。
米山広場については→クリック

0 件のコメント:

コメントを投稿