2010年8月6日金曜日

爆心から約20km離れていた廿日市市旧大野町

京都大学原爆災害総合研究調査班避難記念碑です。
宮浜温泉の旅館かんざきとべにまんさくの湯の前の道を通り過ぎて つきあたりが宮浜グランドホテル。道なりに更に進んでいくと右手に米山広場とでてきます。

ここが毎年 枕崎台風により発生した山津波で亡くなった京都大学原爆災害総合研究調査班の慰霊の集いが行われる場所です。

昭和20年 原爆被爆災害当時 この宮浜温泉一帯に約800人を収容する大野陸軍病院があり 被爆者が収容されていました。京都大学から原爆被爆者調査に訪れていたのですが、原爆投下後からおよそひと月半後の9月17日、枕崎台風が大野陸軍病院を直撃し、収容されていた方とともに京都大学の研究班の皆さんが犠牲になりました。

2 件のコメント:

  1. そんなことがあったんだ。「原爆さえなければ…」、犠牲になった方々、無念だったでしょうね。
    悲惨な戦争を二度と繰り返さないように、ひとりひとりが考えないといけませんね。

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  2. 私の伯父も調査団の一員で、ここで亡くなりました。私が生まれる前のことなので、会ったことない伯父ですが。
    柳田邦男さんの「空白の天気図」の一部にこのときの様子が書かれています。

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