2010年8月6日金曜日

宮浜温泉からみる今の宮島

被爆当時 廿日市にお住まいだった方にお話を伺いました。

上空600m付近で爆発した光はみえたけど、音はしたようなしないような。。煙が広島方面に立ちあがるのを見て なにか広島中心部で起きたようだ。と不吉を感じ、怖くて子供たちを家の中にいれたそうです。数日後、広島市内に通勤していたご家族を捜しに広島市内を歩いたそうですが残念ながらご家族の方は見つからなかったそうです。

また、宮島は位置的に影になっていて直接の原爆被害は受けなかったそうですが、一部の地域 窓ガラスが割れたとの記録もあるそうです。 宮島のお寺には負傷者が運ばれましたが 救急用品が足りず充分な手当てができなかったとも言われています。

1 件のコメント:

  1. フェニックスセブン2010年8月6日 17:54

    歴史資料や戦争経験者に聞いた話しでは、最前線に物資を送るのが優先だったそうです!、貨物船はアメリカ海軍潜水艦により撃沈せれ多くの貴重な物資は海中へと沈み!、前線にも国内にも、満足に物資が行き渡らなかったそうです!、たった一つの飴玉すら貴重な時代!、薬品等は未曾有の負傷者にはとうてい行き渡らない!戦争とは残酷!

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