2010年9月18日土曜日

大野の里を平和の里に

今日は 昨日FMはつかいちグッドモーニング761でもご案内しました65年前大野陸軍病院の看護婦でいらした守谷ミサさんの講演会があいプラザで行われました。守谷さんは 人災である原爆と天災の枕崎台風の二十苦で亡くなられた方のことが風化されてはいけないという思いで 昨日、茨城県つくば市からいらっしゃいました。先週ご紹介した米山広場の京都大学原爆災害総合研究調査班の慰霊碑、遭難碑とともに洗心園の合同供養塔にも枕崎台風の被害者の方の魂は眠っています。→クリック

守谷さんは 今日のお話の中で 昔から空気、食べ物と自然環境のいい大野の地が自然療法にいいということで日赤が当時丸石浜とよばれていた今の宮浜の地に陸軍病院を造ったと言われてました。

守谷さんは 89歳です。 いきいきしていらっしゃるし お声にもはりがあり素敵な方でした。

守谷さんは 宮浜にあるふたつの場所(米山広場、洗心園)をもうひとつの広島、そして平和の里として残したいという思いがあるとおっしゃっていました。

3 件のコメント:

  1. フェニックスセブン2010年9月20日 9:10

    私が子供の頃に、戦争中の負傷で腕が無い方、足が無い方を町中で見かけました!、

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  2. 2年前に守屋さんの講演会に伺い、原爆の後に台風という天災でさらに多くの方の命が失われていたことを初めて知りました。きっとこの方のお話しを聞かなかったら私は知らなかったと思います。

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  3. フェニックセブン2010年9月21日 16:41

    原爆でも、天災でも、戦闘でも、傷つくのは、生身の人間です!、過去を参考に人間の知恵を生かして、悲惨な事を防ぎたいものですね!、

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