2010年8月6日金曜日

大野陸軍病院供養塔

廿日市市宮浜温泉地区一帯が大野陸軍病院だったそうです。
昭和20年5月は 赤十字病院大野結核療養所で多くの結核患者が収容されていましたが大野陸軍病院となり 8月6日以後多数の原爆被爆者も収容されました。しかし、9月17日枕崎台風により宮浜地区一帯に山津波が起こり 被爆者ほとんど、医師、看護婦、京都大学研究班が多数亡くなりました。当時 一命をとりとめられた大野役場の方が鎮魂のためこの供養塔設立を計画、実行されました。
その後 昭和45年 四田増五郎さんが設立された特別養護老人ホーム洗心園に供養塔が移され 今日に至っているそうです。


この地では 現在 水害死没者と洗心園で息を引き取られた方の合同慰霊祭が年に一度行われます。

1 件のコメント:

  1. フェニックスセブン2010年8月7日 12:52

    戦災!、天災!、亡くなられた方々の安息の地ですね!

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